頭上なると海峡のうずのなか

人生奮闘中の女子東大生の日々の雑感を書きます

RPGでレベル超上げてからラスボス倒すようなやつはだいたい臆病

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こんにちは!

お久しぶりです

とみーです!

 

よく見たらブログ更新するの

1年以上ぶりですね、、

自分でもびっくりです。

 

この1年は本当にあっという間だった、、

この記事でも書いたことに

集中して忙しかったのと、

 

今まで知らなかった持病が発覚して←

(というか発覚するまで

時間がかかりすぎて、、、

病院というシステムよ、、)

 

大変だった( ̄▽ ̄;)

※命に関わるようなやつでは全然ないです!

 

そんなわけで

更新する余裕が全然なかったわけですが、

今は療養に集中しようということで

時間がたっぷり与えられたので

久しぶりに筆をとることにしました_φ(・_・

 

 

というか体調を崩している間に

めちゃくちゃ時間があったので

なんか色々考えてた、、

 

それで自分の心を整理しようと

別の記事を書いてたのですが、

 

内容が重すぎて

永遠に更新できなさそう、、、、

 

と思って

もう少し軽いやつを書き始めたのが

この記事です(´Д` )

(だがしかし、はたしてこれも軽いのか、、?)

 

この1年間で学んだことを

少しずつ更新してまとめていこうと思います!

 

 

 

 

 

この1年の学び「自分は臆病だ」ということ

この1年間で本当に色んなことがあって、

多くのことを学んだんだけど、

 

その中で痛感したのは

「自分は

今まで自分が思っている以上に

臆病である」

ということだった。

 

今の会社で

人がまだ全然いなかった時、

あらゆる仕事を

任せてもらったのだが、

そのどれもが

私にとって初めての経験だった。

 

ひと昔前の自分は、

「起業したい!!!」

とかほざいてたので、

新しいことに挑戦するのが

自分は好きだと思っていた。

 

あと

「社会に出て活躍してリーダーになりたい!」

とか思ってたので、

マネジメントとか超興味持ってた。

だから大学でも、

大学院でも、

経営学科に進んだ。

 

 

でも会社が少しずつ大きくなるにつれて、

プレイヤーとして

ただ自分のパフォーマンスを

最大化することを考えるんじゃなくて、

全体最適を考える

マネジメントが必要になってくる。

 

すると

マジで「自分は経営学科でした」と言うのが

恥ずかしくなっていった、、

 

実践したこともないのに

理論だけ学んでもマジで意味ない

 

ということを、

(世の真理かもしれないけど)

痛感したのである。

 

現に私はあらゆることが

全然上手くできなかった、、

 

 

もちろん

 

「初めてやったことだから

最初は誰しも上手くいかないでしょう。

経験を積むうちに

だんだんとできるようになっていくものだよ」

 

という意見があると思う。

 

ただ、自分としては

そんなことは

百どころか百億ぐらい承知だった

 

落ち込む私を

励ましてくれるあらゆる人の

その意見を聞きながら、

違和感を感じ始めた。

 

そうして

 

「いや、問題はそこじゃないんだよな、、」

 

と自分の課題に気づき始めた。

 

 

 

それは

 

「自分が臆病である」

 

ということだ。

 

「失敗するのを恐れる」

 

と言いかえてもいいし、

 

「責任を伴う新しい挑戦を楽しめない」

 

という表現でもいい。

 

 

それまで私は、

自分は新しいことに喜びをもって

どんどん取り組めるような人間だと思っていた。

 

この塩尻市に飛び込んだ記事とか公開した時も、

みんなから「行動力あるね!」言われたし、

自分でも「よく行ったな〜〜〜〜!」と思った。

 

ただ、この「行動」は

本当の意味で「挑戦」とは

言わなかったと思う。

 

学生時代にやることなんて、

責任もないし

(失敗しても「学生がやったことだから」という大義名分がある)

行動の結果も予見可能なことがほとんどだ。

 

ただ、社会では

自分がやったことが

その後どうなるかわからないという、

「結果が未知」のことが多い。

 

すると私は

「上手くいかなかったら

どうしよう」

と過剰に考えてしまったのだ!!!

 

正直、自分でも

こんな大げさに考えなくても

いいことだって分かっている、、

 

仕事を任せてくれた上司も

 

「もし失敗しても責任は全部僕がとるから

何も気にしなくていいよ!!

もし上手くいったらいったで

全部あなたの成果になるよ」

 

と言ってくれた。

(いま思い返してもサイコーのボスである、、)

 

自分でも

 

「わたしよ!!!

何をそんなに怖がってるんだ、、!?

 

なんでもっと

『やったー!これを機にあれもこれも試してみよう』

『やったことないことがどんどんできて楽しい!』

と思えないんだろう、、?

 

というかそういう

新しい経験がしたくて、

自分を成長させたくて、

ここで働いてるんじゃないのか、、!?」

 

と何度も言い聞かせた。

 

でも

「怖い」

という感情が

なかなか消えなかった。

 

なぜ!?!?!? 

 

そういう日々だったので

「この感情は多分

超深いところにルーツがあるわ、、」

と思ってどこからどうしてそうなったのか

自分なりに考えてみた。

 

 

「臆病」の原体験

1. RPGゲームでレベル超上げてからラスボス倒す

私って昔っから、

RPGゲームで

レベルを最強、

装備もMAXにして、

アイテム死ぬほど買ってから

ラスボスに挑戦するような

やつだったんですよね〜〜〜〜〜

 

小学生の時

友達の家で一緒にドラクエやってて、

 

「え!?!?そのレベルと装備で

ラスボス行くの!?!?」

 

と友達のプレイ画面を見て

びっくりした記憶がある、、笑

 

 

マリオとかやってても、

ラスボスがいる部屋まで到達し、

 

はりつけにされて

「私のことはいいから逃げて、マリオーー!!泣」

と叫ぶピーチ姫を前にして、

 

私は

 

「やっとセーブポイント

来たぁ〜!!♡」

 

と嬉々としてセーブし、

姫をスルーして最初の街に戻った。

 

そしてラスボスの城を登る過程で得たコインを

全て武器とアイテムに交換し、

また新たにレベルアップした。

 

ここまでして

ラスボスを数撃で倒せるようにしてから

ピーチ姫に

「おまたせ〜!♡」

と告げるような奴だったのだ、、笑

 

もちろんポケモンでも

「めのまえがまっくらになった!」

ことは1度もない。

 

ある意味

「負けず嫌い」

といってもいいかもしれないが、

 

それよりは

「石橋を最強に補強してから叩いて渡る」

という方が近い気がする。

 

ゲームの世界でも

失敗を極端に避けるような性格なので、

いわんや現実世界をや、である。

 

 

2. 皆がドン引きするところまで勉強する

勉強も、ゲームの世界でいう

レベルや経験値のように

「自分の到達度を数値化され」

 

勝利した先にアイテムや世界平和を得るように

「競争の結果何かを得る」

 

という点では同じだと思う。

 

テストの点、偏差値、校内順位などなど、、

高めた数値を使って

偏差値の高い大学への入学許可、

奨学金などを獲得していくわけであって、

RPGと似たようなものである。

 

 

私は東大に入るくらいなので

これらの「数値」は良かったわけだが、

人生で1度も「天才」と言われたことはない。

 

なぜならみんな、

私の勉強するところを見て

ドン引きしていたからである。

 

国語は、

文章中にあるテストに出そうな単語・慣用句を

全て自分でテストを作成して暗記し、

 

社会は、

教科書の端にある備考欄(※図参照)

まで全部暗記した。

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出典:https://www.art-kobo.co.jp/art-kobo/product/dtp/001_gendaisyakai.html

 

 

この用意周到さは

受験でも如何なく発揮された。

 

 

センター試験が間近に迫った冬。

 

私は

「自分がわからない選択肢/問題がある」

というのが、

いくら他の問題で正解しても

自分の心を乱す

と考えた。

 

センター試験はマークミスが起こりうるので、

特に平常心・自信が必要だと感じたのである。

 

そこで私が取った施策は

「人が『そこまでやる!?』

と思うところまでやる」

ということだった。

 

例として、

世界史のマイナーな単元

音楽史がある。

 

古典派・ロマン派が何世紀とか、

有名な音楽家の作品はどれか、

とかいうやつである。

 

正直、

センター世界史で

音楽史は出題されることもレアだし

出ても点数配分はとても低い。

 

だけど私は直前期の模試で

音楽史が出た時に

全然答えられず、

「これは精神衛生上よくない」

と判断してまさかの

直前期に音楽史に時間を割いた。

 

 

クラシックが好きな母に

「この音楽家

この曲が入ってるCDをちょうだい!

勉強中に聞いて覚えるから!!!」

とリストを渡したのである、、

 

これに母は

 

「このリスト作るなんて

センター試験直前にやること、、?

東大はセンターの配点も低いし(※)

音楽史なんか全然出ないだろうし、、

もっと二次試験とか、

得点配分の高い単元に

時間と記憶を割いた方がいいのでは、、?」

 

※東大の配点はセンター2割・二次8割。

また900点を110点に圧縮するので

たとえセンターで50点差があっても6点くらいの差になる

 

とドン引きしながらも

 

せっかくリストを作った私に

CDを買ってくれた、、笑

 

そして私は世紀・派ごとに

プレイリストを作成し、

勉強のBGMとして流しながら、

 

「これはメンデルスゾーン

真夏の夜の夢で19世紀ロマン派、、」

 

と楽曲クイズをしていた、、

 

今思い返しても変態だ、、

 ※受験生のみんな!直前期に真似しちゃダメだよ!!

 

 

こうして

無駄とも思えることにまで

時間を割いて、

自信を買っていたのである。

 

そのおかげで(?)

当日は「私よりも勉強したやつはいない」

と謎の自信に溢れ、

その時のセンター世界史は100点、

総合点も9割を超えた。 

 

この結果があって、

私はより

「石橋を叩きまくって渡ることは正しい」

と思うようになっていったのである、、

 

 

 

「臆病」がもたらす弊害

 

この「臆病さ」

(慎重さともいう)

はおそらく、

テストとかゲームの中では

有利に働くことが多かったと思う。

 

でも現実社会では

そうはいかない。

 

多くの課題は

対策が難しいし、

 

体験Aで積んだ経験値が

体験Bに生きるとは全く限らない。

 

私は今までレベルをあげまくって

「絶対大丈夫」ってなってからし

勝負してこなかったせいで、

 

事前準備が

あまりできない状況のなか

実戦に放り込まれる

 

という経験に

全然慣れていないと感じた、、

 

レベル上げしないまま

ラスボスに挑んで、

その戦いで経験値上げる

みたいなもんじゃん、、

 

だから新しいことを任せられても、

 

ワクワクよりは

何が起こるのかわからなくて怖いし、

焦ってしまって、

上手くいかないと余計落ち込む

 

のかな〜〜〜〜と思う。

社会って難しい〜〜〜〜〜〜

_(:3 」∠ )_ 

 

 

これからもレベル上げし続けるしかない

ここまで読んでくださった方ありがとう!

 

ただしこの課題について

私は何の解決策も見出していない←

 

この臆病さから脱せる日はくるのだろうか、、

_(:3 」∠ )_ 

 

私も新しいことに

ワクワクして

楽しんで挑戦する心を

得たいよ、、

 

でも現実社会の問題に対して

そうなるには、

 

事前準備はできる限りするとしても、

 

予測できなかった問題に対して

課題を分析し、

試行錯誤し次々に方法を変えながら、

差分を検証して自分で結果を評価する力

必要なんだろうな〜〜〜〜

 

と思っています。

そうして現状を少しずつ良いものに変えていくと。

 

それは実戦でやってくなかで

レベルアップして、

できていくようになるしか

ないんだろうな〜〜〜〜

_(:3 」∠ )_ 

道のりが遠い、、、

 

 

 

 

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止まるんじゃねえぞ…

 

 

自分が「臆病を克服した」と

思えるようになったら、

この記事の最後の章を編集しようと思う、、

その日がくるのを乞うご期待( ̄- ̄)ゞ

 

 

それではまた!!!!!!!!

お金の話をする人は他人のことを素直に応援できない

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新年明けましておめでとうございます!

*\(^o^)/*とみーです☆

 

さて、新年いっぱつめにしては

不穏な香りのタイトルですが笑

 

この年末年始の長期休みに

いろんな人に会う中で、

これは真理なのでは!と思ったので

自戒も込めて

簡単に記しておこうと思います!_φ(・_・

 

<目次>

 

結構真実っぽい仮説「お金の話をする人は他人のことを素直に応援できない」

 

サンプル50くらいなので

確かなことではないかもしれないのですが、

 

「いまスタートアップで働いてるんだ〜!」

って私の近況を報告した時に

 

 

「そうなんだ!おもしろそう!

頑張ってー!!」

 

 

っていう人と、

 

 

「それ大丈夫?将来性ないよ」

 

 

という人の違いに気づきました( ´ ▽ ` )

 

 

それはズバリ!!!!

 

お金の話をする

ということです!!!

(もう言ってる笑)

 

 

普通の人なら

「何時間働いて給料いくらもらってんの?」

「毎月どれくらい利益上げてるの?」

 

ちょっと知識がある人なら

「上場するつもりなの?」

ストックオプションいくらもらってんの?」

「社長は株を何%持ってるの?」

 

とかを聞いてきます!!!!笑

 

 

う〜ん、

みんなお金の話

好きだねえ〜〜〜〜!!!笑

 

良いと思います!!!

 

でもそういう話をするのは

私はあんまり

好きではありません!笑

 

 

ブロッコリー嫌いな人がブロッコリー毎日食べる仕事なんていくらお金積まれてもやりたくないだろ?そういうことだよ

 

なぜお金の話をするのが

好きではないのか?

 

それはこういうことです!

 

いくらお金を積まれても

やりたくないことはやりたくないし

好きなことはお金払ってでもやりたい!!

 

ので、

 

お金を尺度として

今の活動から得られる

幸福度を測るのは

なんとなく違う気がする

 

からです( ´_ゝ`)

 

 

例えばあなたがブロッコリー

見るだけで吐き気がするほど

嫌いな人だとします。

 

そうすると

2億円くれると言われても、

毎日ブロッコリーを食べ続ける仕事を

やりたいと思いますか!?!?

 

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ブロッコリー

 

よっぽどお金に困っている時に

一時的にするとかなら

考えるかもしれないけど、

まずやりたくないでしょう笑

 

逆にあなたがブロッコリー

死ぬほど好きな人だったら、

 

「え!?

毎日ブロッコリー食べるだけで

お金もらえるの!?神かよ…」

 

って

どんなお給料でも喜んで

やるんじゃないでしょうか!?( ´ ▽ ` )

 

 

私はこの、

ブロッコリー好きな人が

ブロッコリー毎日食べるような仕事を

したいなと思っていますし

いまそういう感じで働いてます!笑

 

なので

 

「とみー

死ぬほど働いてるのに

そんなんで生きていけるの?汗」

 

って心配してくださっている皆さん!

大丈夫です!!笑

元気に楽しく生きてます〜❤️笑

 

今年も目標に向かって

楽しく邁進していきたいと思いますが、

 

私も誰かの近況を聞く時に

お金の話ばかりして、

素直に応援しないってことがないように

気をつけたいと思います!!

 

短いですが、今回はこのへんで!

 

引き続き読んでいただく皆さんに

少しでも参考になる記事が書けるよう、

今年もゆるーく投稿を続けていきます☆

 

今年もどうぞよろしくお願いします!!

m(_ _)m

人生の永遠の課題:1番大事なものを選んで2番目以降を捨てた時、その2番目への未練をいかに捨てるのか。

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こんにちは!

全世界の中間管理職・人事部の皆さんを

尊敬してやまないとみーです。

(日に日に尊敬する人増えてくわ…) 

 

 

最近直近の悩みは

 

1番大事なものを選んで

2番目以降を捨てた時、

その2番目への未練をいかに捨てるのか

 

ということに

集約されるんじゃないかな〜

と気づいたので

ここにまとめておこうと思った。

 

正直、

この大きすぎる問いに対して

答えは未だに出せてないので

誰か教えてくれ!!!(雑)

 

<目次>

 

 

1. 人生最大に挫折した時の話

私が人生で最も挫折したと感じた経験は

 

好きだった人に振られた時でも

バスケ人生最後の試合に結局出れなかった時でも

東大に不合格だった時でもなく!!!

 

 

 

ダンスを諦めた時だった。

 

 

 

私はとにかく踊るのが好きで、

高校時代はチアとかダンス部にも入っていた。

 

でもほんとは本格的に技術を習いたくて

高校時代も親に頼んだんだけど

家庭の事情で叶わず、、、

 

だから浪人している時も

「東大入ったらぜったい

ダンスサークルに入るんだ〜♪」

とHPを眺めてその日を心待ちにしていた。

 

 

 

でも、大学に入って

色んな複雑な事情があり、

サークルに入ることは優先順位が

圧倒的に低くなってしまったので、

結局入らなかった。

 

 

あんなにダンスをやると

豪語していた私のこの決断に周囲は驚き、

「なんで?」と理由を聞いてきたけど

全部話せるような背景でもなく、、

 

聞かれるたびに辛い思いになりながらも、

それでも優先したかったことがあったので

その「最重要のこと」に集中していたときは

なんとでも耐えられたのだが。

 

 

 

そのことがひと段落すると

未練は断ち切れず

「別にサークルじゃなくてもダンスはできるし!!!」

と思ってダンススクールに通い始めた。

 

するとびっくりするくらいつまんなかった…

 

「あれ?私ダンス好きだったんじゃないのか?

なんでレッスン受けてても全然楽しくないんだろう」

 

って自分でも何がなんだかわかんなくて

ずっと考えていたら

私は踊ることはもちろん好きなんだけど、

それ以上に

 

仲間と一緒に一つの作品を

作り上げる過程

 

が好きだったんだなと気づいた。

 

気づいたからにはやるぞ!と思って、

私はあるコンセプトのもとで

どうしても作品を作りたくて

仲間を募った。

 

そしたら色んな人が

「一緒にやろう!」と言ってくれて

その人たちとステージに立つために

色んな振り付けや構成を考えた。

 

 

しかし、、、、

 

私と同じ温度感・完成度を

目指してくれる人は誰もいなかった。

 

まず、練習の日程調整を組んでも

誰も予定を出してこない笑

×ばかりが並ぶ調整さんを見て絶望した、、、笑

 

とはいえ何回もめげずに調整を繰り返して

あるとき、とても貴重な場で発表させていただく機会を得た。

 

その時の仲間も

最初は私の構成・振り付けを

さんざん褒めてくれて

「一緒に頑張ろう!」

ってなった。

 

んだけど、、、

 

発表の日が近づくにつれて雲行きが怪しくなってきた。

 

まず

 

「とみーの構成は難しすぎる。

もっと少ない練習時間でもできるような

簡単なものにしてくれないか」

 

ってなり

 

「この部分は削ってくれ」

「この人は結局行けなくなったから

この人がいなくても良い構成にしてくれ」

 

と次々に要望が重なり

 

最終的には私が考えた構成は

90%くらいがカットになり

簡単な振り付けを少し見せるだけ、

みたいになった。

 

これは、私が一生懸命考えて作って

丁寧にラッピングしたプレゼントを、

ぐちゃぐちゃにされて大事なところをもぎとられて

その贈る相手に渡されたくらい、

心が引きちぎられる経験だった…

 

「こんなものを届けたかったわけじゃないのに」

「こんなものを作りたかったわけじゃない」

「私はこんな思いをするためにダンスをしてるのか?」

 

とか色んなことを考えて

こんな思いになるなら、やらないほうがましだ。

と思って

 

諦めた…

 

もっと自分が楽しめることに時間を注ごうと思った。

 

 

もちろん、わたしの人探しが

下手だったと思うし

私の気持ちをわかってくれる人もいた。

 

でもこの時の挫折が

心が痛すぎて、

私はダンスをしばらく

やりたいと思えなくなってしまった。

 

でも、ほんとは未練たらったらで

 

「もっと早く別の決断をしてたら

こんなに傷つかなくて済んだんじゃないか」

 

「あの時最優先したことの順番を

間違ってしまったんじゃないか」

 

そんなことを悶々と考えて病んでいた笑

 

私はダンスよりも優先して取り組んだ

別の活動に対しては全く後悔はしてないが、

 

このダンスを優先しなかったことで

傷ついたその後の経験によって、

1番目は本当にあれでよかったんだろうか

とかそういうことを考えさせられてしまったのである。

 

 

2. 直近の課題

別にこんな壮大な話じゃなくても

日常生活の中に

「1つを選んだことで諦めた他のこと」

に対する小さなストレスが

溜まっていることに気づいた。

 

それは

仕事を優先して断った

友人との約束だったり、

 

生活費を優先して買えなかった

期間限定の物だったり、

 

自分が今選んだものに対して

自信を持てなくさせる

全てのことに当てはまる。

 

 

欲しいものが

全て手に入ればいいんだけど、

いつもそうとは限らないから

 

「本当はあれが欲しかったのに」

「本当は行きたかったのに」

とか、未練が残るんだよね。

 

これがストレスの原因で

色んな悩みを生んでるな〜と思った。

 

「1番」に選んだことに

集中できなくさせて

やりがいをなくさせて

本当によくない感情だ!!

 

 

3. これからどうしたらいいのか募集します

っていうことを考えるには至ったけど

この感情の消し方が分からないぜ!?!?!?←

 

ダンスの件は、

今は全然落ち着いて

 

「人生タイミングがあって、

学生時代1回できなくても、

後50年くらいは体力的に踊れそうだから

まあそのうちどっかでやろ〜笑」

 

って感じのマインドにいまはなった笑

 

 

 

こういう感じで

「タイミングをずらせばいいだけで

2番目以降を諦めなくてもいいんだぜ!」

みたいな考え方は

ひとつ有効なのかなとか考えたり。

 

でもこれで

解決できない場面も多いんだよな、、

(´・ω・`)

 

ということでこれを読んで

何かアイデアがある人

ぜひ教えてくれ!!!

 

というとりとめのない文でしたヽ(;▽;)ノ

なんでそんなに頑張れるの? 「野心」と「身近な人の課題」

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こんにちは!

最近やることが終わらなすぎて、

納期を守るこの世の全ての人を

尊敬しているとみーです。

 

基本休むのが嫌いなんですけど、

休んでないのに終わらないと

だいぶ精神がやられることに気づいた←

 

なんかつかれてきたら、

自分が何のために頑張っているのかを

いったん整理しとこうと思いました。

 

やる気が落ち込んだら

この記事読み返して

自分に火をつけようと思います!!!

 

<目次>

 

 

 

やる気だけは人一倍

わたし前の記事でも書いたように、

ドジでマヌケすぎて

がっかりされることも多いんですけど、

やる気だけは人一倍ありまして!!

 

そのおかげで

TOEFL100点以上が

要件の留学プログラムにも

79点しかとってないのに

参加させていただいたり

(まじでありがとうございました先生、、、)

 

色んな団体の運営に

携わらせていただいたりして、

本当にやる気だけで生きてるような人間なんです!

 

 

そしたら、よく色んな人に

 

「何でそんなに頑張れるの?

何でそんなにやりたいことがたくさんあるの?」

 

とか聞かれるんですが、

 

そこでじっくり考えてみたら

大きく分けて2つの理由があるなと思った。

 

 

頑張る理由その1:野心

身もふたもない話ですが、

わたし

野心

がめちゃくちゃ大きい!!

 

「絶対に成功してやるぜ!!」

 

みたいな、ある種の

執念

のような感情を

常に持ち合わせている。

 

これは 

ポジティブな経験からくる

自己肯定感と

ネガティブな経験からくる

反発心

の2種類で構成されている。

 

 

1. ポジティブな野心

私は前の記事でも書きましたが

記憶の構造がイかれているので、

お勉強に関することは

すっごく良く覚えられた。

 

遠足の持ち物と集合場所を先生が連絡していても

右から左に流れてしまうけど、

 

電池の原理とか、

世界史の偉人の裏話とかは、

大興奮でワクワクしながら

聞けてしまうような変態だから

いまだに覚えている(笑)

 

しかも、育った秋田は

駿台河合塾もないような超ド田舎

さらに私の地元は

1学年1クラス20人前後の

秋田の中でもさらに田舎の

超小さな学校!

 

そうなるとどうなるか。

 

成績のインフレが起こる!!

 

そうするとなぜか

「頭のいい人」

「何でも知っている人」

認定され

 

色んな意見を求められ、

そこで何を言っても

「さすが」とか

「とみーが言うならそんな気がする」

とか言われる。

 

そして

「こういうことをやってみたいんだよね」

とか言うと

「とみーならできるよ!」

と太鼓判を押される。

 

そうなると

若かりし頃の私は調子に乗って

大きなことを言い出す!!

 

小学6年生の卒業式で将来の夢を

国際公務員※」

※国連とか国際機関で働く人のこと

とか発表して会場をどよめかせ、

(あの時は恥ずかしい思いさせてごめんお母さん、、、)

 

 

高校になると

「将来は起業する!」

とか大口をたたいて、

 

英語を少し話せるのをいいことに

「私アメリカ人と結婚する方が合ってると思うんだよね〜!」

とかほざきだす!!

(やべえ、これ今思い返すとめちゃくちゃ恥ずかしいな、、)

 

こんなクソ調子こいた

ただ勉強が少し田舎ではできるくらいの人間に、

周りの人は愛想をつかすことなく、

 

「とみーすごいね!頑張って!

とみーなら絶対できるよ!」

 

と背中を押してくれたのである…。

(本当に感謝しかないぜ…ありがとう…)

 

そうなると

 

「私はやればできるんだ!

絶対やってやるぜ!」

 

「みんなに宣言したら

逃げられなくなるから

どんどん発言していくぜ!」

 

という圧倒的自己肯定感が生まれ、

さらに大口をたたく人間が完成した。

 

そしてビッグマウスである以上、

それに見合う努力もしなきゃみっともない!

という気持ちも生まれ、

圧倒的やる気が出てくるのである。 

 

 

2. ネガティブな野心

とはいえ、私はこんな

褒められたことばかりの人生ではなかった。

決してなかった。

 

というか、

勉強以外は

色んなことを

かなーーーーり

けちょんけちょんに

けなされてきた。

 

例えば、

私は小中高バスケ部だったんだけど

それが壊滅的に下手くそだった。

 

しかもね、

練習手を抜いてるならまだわかるじゃん?

本気なんだよね。

めちゃくちゃ真面目にやってるのに

やっっっっっっばい下手くそなの!!!

 

そのおかげで(?)

コーチだけじゃなくて

色んな人から

練習中、試合中問わず

罵倒され

悪口言われ

陰口も言われ、、、

すごい辛かった(白目)

 

あとは、体型

わたしのお姉ちゃんが

すごく細くて足が長く、

スタイルがよかったので

いつも比べられて育ってきた←

 

兄弟って

同じ親から生まれ

同じ学校に行って

同じもの食べて生活するじゃん??

 

だから、その差って

環境じゃなくて

本人の才能・資質しかなくて 

比べられる格好の的なんだよね、、、

 

お姉ちゃんも多分比べられて

辛かったところあったと思うけど

私はこの体型を比べられるのが

とっても辛かった、、

 

私は太りやすいし

運動部だからいっぱい食べるし、

足太くなるし、、、

「お姉ちゃんはあんなに細いのにね〜」

とか言われるの、

思春期の女子には

悲しい仕打ちだった(泣)

 

あとは言わずもがな、

前述した通り

忘れっぽい性分なので、

「お勉強できるのにこんなこともできないの?」

とバカにされることも

数え切れないくらいあった、、

 

こうして、

勉強によって培われた

自己肯定感はめちゃくちゃ高いくせに、

そのほかの面では劣等感しかないという、

奇跡の存在が完成した!!

 

こうなるとどうなるか?

 

「くっそ〜〜〜〜〜!!!

あいつら、今に見てろ!!!

めちゃめちゃビッグになって

いつか見返してやる!!!!」

 

という反発心の塊が一丁上がり!!

 

例えば、

東大に入ろうと思った理由もたくさんあるが

かなり大きな理由のひとつに

 

「私のことをバカにしたやつらも、

私が東大に入ったらぐうの音も出まい!!」

 

という気持ちがあった。

 

バスケがいくら下手くそでも、

東大に入れば話は別だ。

 

運動部として毎日体力を削りながら、

大学入試の最難関を突破するという

文武両道を成し遂げたヒーローになれるのだ。

 

秋田は本当に田舎だから

前述した通り大手塾もなくて、

東大に入るのは

毎年県全体で10人いるかいないかだ。

 

「東大合格」

というのは、

県内トップ10に入ることを示すことで

雲の上のようにすごいことだった。

 

実際、現役で合格した先輩は

将来の夢を総理大臣と語り、

現役で合格した同期は

先生からも

「何も教えることがない」と言わせる

神童みたいな人たちばっかりだった。

 

私はこんな存在に超憧れて

ほかのことでけちょんけちょんにされてても

ここで認められたら

全てチャラになれるんじゃないかと思った。

 

ま、結果浪人したけどな!!←

 

こんな風に、

自分のことをバカにした人たちを

いつか見返したい!!

というのも

とても大きなモチベーションになっている。

 

そして、

反発心の根源は私への悪口だけじゃない。

 

私の家は母子家庭で、

お母さんにたくさん苦労をかけ

育ててもらったのだけど。

 

ある時、

私がとんでもないミスをやらかしたのだが、

そのとき相手は私の家庭の事情を知っていたので

 

「親はどんな教育をしているんだ。

やっぱりこんな家庭で育つから…」

 

と言われてしまったのである。

 

そこで

「自分が失敗すると親のせいにされるのか!!」

と大ショックを受けた。

 

そのほかにも、

親に対して

心ないことを言う存在を耳にするたび、

本当に胸が痛んだし、

 

「うちのママに

ひどいこと言ったやつらめ、、

今に見てろ!!

私が超ビッグになって、

あのとみーを育てた親として

全世界がうちのママを褒め称える世界線

実現してやるぜ!!!」

 

とめちゃめちゃ燃えたのである。

こうした

自己肯定感と反発心

に裏付けられた

野心

これが大きな原動力になっている。

 

私のことを褒めてくれた人、

けなしてくれた人も、

本当にありがとう!!!

そのおかげで頑張れてるんで、

全ての人に感謝しかないです!!!

 

 

 

頑張る理由その2:身近な人の課題

あと、

私はなぜやりたいことが

たくさんあるのかというと、

色んなことに課題意識を持っているからです。

 

なぜ課題意識を持っているのか?

 

それは母子家庭で育ったとか

自分の環境によるところも少しはありますが、

身近な人の経験談が大きい。

 

私は昔、

死にそうになった時に

友達に助けられたことがあってから、

人生において

もっとも大事なこととして

「友達を大事にする」

ということだけは

生涯貫き通したいと思っている。

 

そうすると、

色んな友達の悩みを

解決したくてたまらないんだよね。

 

起業したいとか思ってたのも、

壮絶な友人の家庭環境の話を聞いて

 

「世の中金がないと

こんな理不尽な目にあうのか、、

友達がこんなに困ってるのに

私は何もできない、、、

あ〜〜〜〜〜

お金ほしい〜〜〜!!!

権力ほしい〜〜〜!!!

 

と思ったのが

きっかけだったりする

(;ω;)

 

他にも、

色んな友達が辛い経験を

話してくれるたびに

 

「なにこれ!?!?

私の大事な友達を

こんな目に遭わせる

社会腐ってない!?!?

許すまじ!!怒」

 

とめちゃくちゃやる気がわく!

 

だから私と仲良くしてくださるみなさま!

あなたの悩みが私の原動力になるので

いくらでも打ち明けてください!!

 

真夜中に「死にたい」とかいう電話も

いつでも大歓迎です!!!笑

 

 

 

「どうやったら私も頑張れる?やりたいこと見つかる?」ってよく聞かれるのでここにまとめておく

ここまでは自分の忘備録のために

モチベーションの根源を書きましたが、

ここからは読んでくださった皆様に

少しでも参考になるように

一般化して書こうと思います。笑

 

前述しましたが、

やはり

「原体験」

を持つことが

自分の原動力になると思います。

 

それは自分自身の課題なら

私のように野心になるでしょう。

 

ただ、人生1個しかないんだから

自分の人生だけで

貴重なやる気の根源である

「原体験」

という資源を得るのは難しいと思います。

 

原体験がない!

と悩む人ならなおさら、

何不自由ない生活を送り、

課題意識を持つ余地もなかったと思います。

 

そう言う場合は

「友達・大切な人をたくさん作ること」

そして

「その人たちの人生・課題に耳を傾けること」

がおすすめです。

 

 

自分の大事な人が困ってたら

「なにかしたい!」

と思わずにはいられないです。

(思わない人いたら参考にならなくてごめん…)

 

今は「課題発見能力」とかいう力も

重視されているようですが

友達の悩み相談をいつでも受け付けていれば、

課題は勝手に降ってわいてきます

 

そしてそれは、

テレビやネット・本で見ただけの

「社会課題」より

よっぽどリアルで真に迫るものです。

根本の課題がなんなのか、

より深く考えさせられます。

 

だからみんな、

いっぱい友達作ろう!

そしてその友達を大事にしよう!!

 

もし

「そんなやつ自分にはひとりもいねーよ、、」

と落ち込んでたら、

私と話そ!笑

 

私と友達になって

人生について語ってくれる人、

いつでも募集してます〜❤️

 

そんじゃ今日はこのへんで!

明日もやってやるぜ!!!

人類みな発達障害説

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こんばんは、とみーです。

今日はだいぶ衝撃的なことが起こったのでちょっと忘れないように、以前から考えていたことと合わせてメモしておこうと思います。

 

<目次>

 

 

1. 私についてよくある誤解と真実

私一応これでも東大生なんですけど

 

人生で2億回くらい

よくガッカリされるんですよね〜〜〜〜

 

 

 

どういうことをよく言われるかというと、

 

「とみーって、お勉強はできるのに、

なんでそんな大事なことを

すぐに忘れちゃうの?」

 

ってやつですね。

 

わたし、超がつくほどマヌケなんですよ。

物忘れ・無くし物

がとてつもなく激しいんですよね。

 

今日起こった衝撃の出来事がそれを実証しております←

 

今日は、

友達に渡すものがあって

1ヶ月くらい前から約束してたのですが。

「絶対忘れそ〜〜〜!」って思ったから

その渡すものを忘れないように

前の日にカバンに入れてたの。

そして前日にもちゃんと

「あれ忘れないようにしなきゃ!笑」

とかその友達とLINEしてたの!

それなのに!!!

 

そのカバンを持っていくのを忘れるという←

 

やばいよね、自分でも引いた。

ここまでくると記憶障害ですよほんとに。

 

まあこれだけじゃなくて、

今までに何度も色んなものを忘れ、

無くしてきました、、、

財布、学生証、定期、自転車、パソコン、、、

鍵に至っては2回もなくしたことあるわ←

(安全な日本のおかげで全部戻ってきたけど)

 

まあ無くしそうなものは

全部無くしたことあるね(ドヤ

 

ここでひとつ言いたいのが

 

私は皆が覚えていないような、

ど〜〜〜〜でもいい些細なこと

長期間

覚えておくのは結構得意なのですが

 

皆が忘れないような

と〜〜〜っても大切なこと

短期間

覚えるのがすごく苦手なのです!!!

 

 

だからよく、

 

「え…?なんであのとき

あの人が言った一言を

今まで覚えてるの…?」

 

と驚かれることもありますが

 

「え…?なんでこんな

大事な連絡覚えてないの…?

人の話ちゃんと聞いてた?」

 

 とガッカリされるのです!!!

 

歴代総理大臣の名前とか、

ヨーロッパ王朝の盛衰の順番とか、

普通の人の人生に全く関係なさそうだけど

試験によく出ることは覚えられるのですが。

 

日常生活で大事なことはすぐに忘れちゃうの!!

 

でもみんな、

私がお勉強に関することを覚えてるから、

他のことも全部覚えられるみたいに期待して

わたしのマヌケ具合見てガッカリするの、、、、

 

人間は何かを得る代わりに何かを失っているのです← 

 

みんな、ガッカリしないで、、、

わたしはそういう人間なんだよ、、、

 

とよく思うのですが、

あれ?でもこういう

ちょっと他の人と違うところがあって、

日常生活困ることって、

私にだけ起こることなんだろうか。

と考えるようになりました。

 

 

2. 発達障害って何?

 

さっきもちょっと言いましたが

ここまで物忘れがひどいんで

「私って記憶障害なんじゃね?汗」

とよく思います←

 

 

ネットで拾ってきた発達障害の定義↓

発達障害とは
発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のかたよりによる障害です。得意・不得意の凸凹(でこぼこ)と、その人が過ごす環境や周囲の人とのかかわりのミスマッチから、社会生活に困難が発生します。発達障害は外見からは分かりにくく、その症状や困りごとは十人十色です。

出典:発達障害とは?種類・症状・子供の進路・早期療育の重要性|[LITALICOジュニア]

 

うん。

わたし、

絶対脳機能にかたよりあるし

社会生活に困難発生してるわ←

 

発達障害じゃね?

 

 

昔就活してた時、

新規事業立案インターンで、

発達障害児を対象にした教材を

チームで提案したことがあります。

 

その時に

発達障害といわれても

彼らには才能があるから

それを伸ばす教育を!」

と謳った。

 

でも、

それって正直

全人類に当てはまるんじゃね?

 

全人類が

どっかおかしいけど

才能あって

それを伸ばす教育必要じゃね???

 

 

3. みんな違うのが当たり前の世界

 

みんな違う人間だから、

誰かから見たら

絶対どっかおかしい。

 

たとえば、私は先述のように

記憶の構造がイかれてるんですが

そのほかにも客観的に自分を見たら

結構やばいなーと思う行動を

よくしています。

 

例えば「独り言」

 

わたし、独り言が激しくて

よくみんなに引かれる。笑

 

「え、いま誰と話してたの…?(怯)」

みたいな感じで

幽霊と話してるキャラにされる(・▽・)←

 

物にも話しかけるし

テレビとか漫画とか見てても話しちゃうし

まあ社会生活は今のところ送れてるけど

はたから見てると怪しいよね。笑

 

ただ、こういう行動が

所属している集団の

多くの人が取りうる行動と

過度に違っていると

同調圧力の強い日本では

発達障害

と呼ばれている気がする。

 

行動が、

社会でどのくらいの数の人に

どう認められるか、

どう捉えられるかとか、

そういう話なだけな気がする。

 

みんなどっかが誰かと違って

「変」な部分だし、

それは「個性」でもある。

 

それが当たり前に受容されて、

みんなと「違うところ」が

非難されないで

むしろ「個性」として

尊重される世の中がいいなあ…

 

たとえば、私の記憶障害は、

逆にお勉強には活かせたし、

独り言というか話す量が多いと言うのは

おしゃべりで人を楽しませる(?)

ことができるかもしれない!

みたいな。

 

そういう世界を

わたしは作っていきたいな。

思ったので

この記事読んで

みんなも思ってくれたら嬉しい!

 

実家に帰るといつも切なくなる理由

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※地元の景色です

 

お久しぶりです、とみーです。

ただいまひと足遅れたお盆休みを送っています。

この間に大学のレポートとか終わらせて

今やってる仕事について

色々と考えようと思っていたのだが、、、、

 

もう金農が甲子園で準優勝したから何も手につかない!!!

(全県民が同じ気持ちだと信じてる)

 

金農とか高校時代、

部活で練習試合1番やったとこで

なんども行ってたし

選手はほんとにみんな地元の子で

隣の中学出身の人とかゴロゴロいるよ、、、

ヒーローかよ、、、、

103年ぶりの決勝進出で、、、

みんなイケメンとか、、、、

 

何これ完全映画化!!!

 

とか思いながら家族が録画してくれてた

熱闘甲子園延々と見て

ひたすら感動シーンを集めた動画・ツイート探して

凱旋する様子とか関連ニュースを見ていたら

今日の時間が溶けた……

 

そして夕日がさしかかる時間になったのでもう

今日は故郷について思いを馳せる日にするわ←

 

ということで今日のブログを書いています。

 

***

 

金農について全面に特集されたローカル新聞を買いに

近所の新聞社まで自転車を漕ぎながら思った。

 

ここは時間が止まっているみたいだ。

 

ご近所さんの家がリフォームされているとか、

道路が補正されているとか、

確かに時間とともに変化しているはずなのに

私はいつも秋田に帰ると

「ここは本当に時間が流れているのか?」

と思う。

 

さえぎるビルがないから空が広くて

目の前には田んぼしかなくて

毎日通った道を見るたびに

学生時代の思い出を詳細に思い出す。

 

そんな自然たっぷり

思い出いっぱいの故郷が大好きで

めちゃくちゃ誇りに思ってて、

暇さえあればいつでも帰りたい

と思っているけど、

いつも帰ると、

望郷の念だけでない理由で

切なくなることがある。

 

いつも

「なんでこんなに切ないの!?」

とわけわかんない感情になるので

ちょっと整理しようと思った。

 

***

1つ目の理由:狭い視野の中ベクトルを定めて猛烈に努力していた自分を思い出すから

なぜ努力していた自分に切なくなるのか?

それは

 

「あの時もっと視野を広く持てていれば、

自分がより成果を残せることに時間と労力を割けて、

もっと今よりすごい人になれたんじゃないか」

 

「自分が今目指している方向に、

もっと違う方法

もっと早く到達していたんじゃないか」

 

っていう「たられば」を考えてしまうから。

 

秋田にいたころ、私は

「勉強と部活一生懸命がんばるのが偉い人。

大学入って留学して起業するんだ!」

みたいな視野で頑張っていた。

これは全く否定されることじゃないと思うし

勉強は好きでやってたし

当時は毎日すごく楽しんでたけど。

 

 

このご時世、FacebookTwitter

簡単に要人と繋がれて

少しでも勇気を出して行動すれば

色んなことができると気づいてしまった今では、

「勉強を頑張って良い大学に入る」

以外の努力のベクトルも

あったんじゃないかなってすごく思う。

 

 

高校時代のまま色んなものが残ってる部屋で寝てると

留学するために使ってた色んな英語の教材や

受験のためにたくさん勉強したものが目に入る。

(いいかげん捨てろよって感じなんだけどさ)

筋トレのメニューとかがホワイトボードに書いてある笑

(消せよって感じなんだけどさ笑)

 

うちめっちゃ頑張ってたやん。

 

でも

当時努力したおかげで得たものはたくさんあるけど

それは自己満足というか

今の私が欲しい「他者を幸せにするスキル」と

直結してない感じ。

狭いコミュニティの中じゃ褒められていたけど

それも時が経って、世界がひろがると

本当に井戸の中のカエルだったなあと思う。

 

 

メキシコ人の友達が、

英語もペラペラなのにフランス語も完璧で、

なんでそんなに喋れるの!?って聞いたら

「子供の時からパリに憧れていて、

毎日フランス語を一生懸命勉強したの」

とか言ってて

「なんて有効な幼少期の時間の使い方なんだ、、、、」

って愕然としたんだよね。

 

語学って歳を取るほど習得が難しいのに

家にある漫画とかゲームとか見てると

別にその時は楽しかったんだけど

将来自分がもっと欲しいものが見つかって

なりたい自分を見つけた時に

「あのときの時間をもっと有効なことに使っとけば、、、」

って思ってしまうんだよね。

 

あと、私は小中高バスケ部だったけど

壊滅的に下手くそだった。

のに!!!

毎日生活の中心はバスケだった。

そのおかげで体力もついて

活動の幅も広がったし

健康になったし

大好きな友達もたくさんできたし

当時の最適解だったと思うけど

 

本当はダンスの方が

ぜったい才能あったんだよな、、、

とか思うと

 

なんでダンスの技術向上に

もっとリソース割かなかったんだろう、、、

って

バスケのグッズだらけの部屋にいると

ちょっと悔しい思いになったりするのよね。

(まあ色んな事情があったわけだけど)

 

 

後悔しても何も起こらないし

むしろこの気持ちをバネにして

今から私はやるぜ!!!

って思うんだけど、

当時あんなに頑張っていたことで

「今に残るもの」

をどれだけ残せたか考えてしまうと

切なくなるよなあ

 

 

2つ目の理由:自分の今の価値観がグラグラになるから 

上京して、

秋田にいた頃とは

全く違う活動に身を投じてると

当たり前に価値観は変わった。

変わったはずなのに、

「あれ?本当にそれでいいんだっけ?」

って思い直してしまう。

実家に帰ると。

 

例えば、

私の好きなインベスターZっていう漫画に

以下のシーンがある。

マイホームを購入することがいかに愚かなことか

主人公の財前くんが熱弁している場面だ。

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出典:インベシスターZ 14巻

 

これを読んだ当初の私:

「このご時世に

家を購入するなんて愚の骨頂…!

私は賃貸で資産運用しながら

賢く生きてやるぜ!!」

 

だが、

実家に帰って1日過ごすと

以下のようになる。

 

実家に帰省した私:

「柱に身長刻んでた懐かしい、、、

自分の部屋の壁に穴あけまくって

DIYめっちゃ楽しんだやん自分、、、

大声で歌って踊れる実家さいこう、、、

財前くんは中学生で家から離れたことないから

実家がいかに素晴らしい場所か

まだ気づいていないんだな、、、青い」

 

見事なまでのブレブレである。

 

あと、冒頭でも少し触れたけど、

地元は時間がゆっくりで

人が少なくて

大自然が不動のものとして

泰然とそびえたってるから

 

人間がせわしなく生きている

東京での生き方って本当に幸せなんだっけ、、、

とか迷走する←

 

今私はスタートアップで働いていて

毎日毎日改善が求められるスピード感の中

過ごすのが楽しい!

って思ってる。

 

でも、田舎のこんなスローな生活で

穏やかに幸せに生きている人々を見ると

自分もその中で

幸せに生きていた時間を思い出して

「あれ?結局私は最終的に

どういう生活がしたいんだっけ?」

とか考えさせられる。

 

そうやって、

日々価値観をより良い方向性に

変えていってるはずなのに、

揺り戻されるから、切ない。

 

 

3つ目の理由:そういうのも全部ひっくるめて大切な思い出いっぱいなのに、だんだんと人がいなくなっていくのを見て秋田の滅亡を予感するから

これは、帰省するたびに感じるんだけど

大切な場所がどんどんなくなっていく

という恐怖がある。

 

クラスで打ち上げをしたお好み焼き屋さん、

放課後友達と遊んだカラオケ屋さんが次々に潰れて、

母校(中学)の新入生は8人になったとか、

母校(高校)のクラス数が減るとか、

そういうのがいつも耳に入る。

 

そういうニュースを見たり、

減っていく街中のお店を見るたびに切ない。

 

10年前に埋めたタイムカプセルの手紙、

去年受け取ったけど

今年もし今の中3が埋めたら

取り出せるんだろうか、、、

とか、考えてしまうね。

 

こういうことを考えるから

地方創生の活動とかしてたわけだけど、

なかなか現実は厳しいよね。

 

でも、今回の金農の歴史的大快挙で 

秋田がすっごく盛り上がって

「こういう盛り上がり方が本当に最高!!」

って心の底から思ったので

スポーツの素晴らしさにも注目していきたいと思う。

 

 

***

 

今回はぜんぜん取り止めのない文章になったけど

共感してくれる人がいたら嬉しい。

 

とりあえず今は実家のあったかい

ふかふかのお布団で寝て、

レポートと事業については

明日やる馬鹿野郎になります。

 

そして、なんども言うけど、

金足農業、甲子園準優勝ほんとにおめでとう!!!

秋田の誇りだよ!!!

 

わたしも、君らより何年も年上のくせに

まだ誰かの心をそこまで動かしたことがないけど、

すごい勇気をもらった!!!

 

都会のすごい人たちから見たら

私も秋田の田舎者かもしんないけど

だからこそでっかいことやったら

皆に夢を与えるヒーローになれるよね。

 

あ〜〜超感動したから

私がいつか自分でサービス開発して

ビッグになったら

この金農ナイン全員になんか奢る!!笑

ことを夢見ておばさんも頑張る笑

 

おやすみなさい!

今夜はいい夢見てね!

23年間「頑張り屋さん」目指してたけど今日から「全力で頑張る」のやめる

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こんばんは!とみーです

(※タイトルは別に病んでいるわけではないです)

 

私が尊敬する人から言われて常々思い起こしている、

 

「失敗するのは全然かまわない。

ただ、同じ失敗を何回も繰り返す人が本当の馬鹿

 

という言葉を、最近よく考えます…。

 

日常生活で失敗することは

腐るほどあるんだけど、

私の場合、

過去と似たようなことを繰り返す

のが本当に多い気がする…

 

それで、その尊敬する人から

同じくよく言われる言葉、

 

「失敗してただ謝るのは幼稚園児でもできる。

なぜ失敗したのか原因を分析して、

具体的な解決策(行動)を提示する。

そして二度と同じ失敗をしないのが1番の謝罪」

 

をひたすら思い出して

めっちゃ考えてるのが今日この頃。

 

「なんでこの失敗をしちゃったんだろう…?

どうやったらもう二度としないんだろう…?」

 

って考えて抜いてたところ、1つの原因というか、

良くない癖に気づいたので

言葉に残しておこうと思いました。( ..)φ

 

<目次>

 

1.今までの私の行動パターン

今までの私って、

 

「やる気・元気・根気」

で一生懸命頑張りまーす!!

キラッヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

 

って感じで生きてました。

 

頑張って努力すれば

成果は出なくても

プロセスで学べること多いじゃん!

 

と思ってとりあえずジャンプの三原則よろしく

「努力・友情・勝利!」

を大事に生きてきた。

(まあこれからもこの哲学は大事にして生きていくけど)

 

でもこれの弱点というか、

良くないところとして

 

「何をもって『頑張る』っていうの?」

「『努力』・『勝利』の定義とは??」

「一生懸命ってなに??」

 

っていう、

「頑張る」の実態が全然つかめない

ところなんだよなと気づいた。

 

さて、冒頭にご紹介した名言を振り返ろう。

 

「なぜ失敗したのか原因を分析して、

具体的な解決策(行動)を提示する

 

今までの私って……

 

具体性がない!!!

 

「頑張る」なんて定性的で主観的なこと、

どこのだれでも幼稚園児でも

人間じゃなくてもできるやんけ……。

 

必要なのは

「何を」「どれくらい」「いつ」

やるのか。

 

そして、それによって得られた

定量的・客観的な結果をもとに分析すること。

 

ダメだった状況と

良かった状況を比較して、

失敗・成功要因を抽出して、

試行錯誤を建設的に繰り返すこと。

 

これこそ私に必要なんじゃないか…?

 

私って今まで、

自分の「頑張る」指標を定量化して

把握してなかった気がする…

とりあえず「頑張ります」みたいな。

 

逆に、勉強みたいな、

何問解くとか、偏差値・点数が出るなど

指標化しやすいものでは

明確な目標設定も自己分析できていた気がするぞ。

 

 

2.失敗を克服するために大事なこと

 失敗を分析するのも、

たぶん、主観的な肌感覚だけじゃだめで、

 

「いつ」「どんなときに」「何回」

こういうことが起こったのか。

 

事実ベースでデータを貯めないと

分析しようがないし、

振り返ってもまともな知見が得られない気がする……


「次から気を付けます!」

 

って、私人生で何回言ったんだろ←

こういうことを言う私は、

 

「次」っていつ?

「気を付ける」って具体的に何をどうすること?

 

っていうのを全然明確にしてなかった。

 

だから、失敗しても

その場限りの状況では反省するけど

すぐに忘れるし、

似たような状況が起こった時に

「これはあのパターンと似ている!」

とかって気づけなくて

また失敗しちゃうんだろうな、って思った…。

 

よって、私が出した結論は以下↓

 

 

3.「頑張る」のをやめる代わりに

「頑張る」とか「全力」とか

主観的・定性的・曖昧な言葉遣いをやめ、

自分が具体的に何をいつどのくらい、

どのくらいの頻度でやるのかを

コミットする人間になる!

 

23年間目指してきた

「頑張り屋さん」

の看板を下ろして

「合理的に試行錯誤して成長するマン」

を目指します!

 

っていうのを、

Twitterで以下のツイートを見かけて

思いました( ..)φ

 

 

 

なので、私が今後

私が「頑張る」とか「一生懸命」とか

そういう言葉遣いをしてたら、

「もっと定量的に生きろや!!」

と、注意してください!!(笑)

 

ではまた☆