頭上なると海峡のうずのなか

人生奮闘中の女子東大生の日々の雑感を書きます

RPGでレベル超上げてからラスボス倒すようなやつはだいたい臆病

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こんにちは!

お久しぶりです

とみーです!

 

よく見たらブログ更新するの

1年以上ぶりですね、、

自分でもびっくりです。

 

この1年は本当にあっという間だった、、

この記事でも書いたことに

集中して忙しかったのと、

 

今まで知らなかった持病が発覚して←

(というか発覚するまで

時間がかかりすぎて、、、

病院というシステムよ、、)

 

大変だった( ̄▽ ̄;)

※命に関わるようなやつでは全然ないです!

 

そんなわけで

更新する余裕が全然なかったわけですが、

今は療養に集中しようということで

時間がたっぷり与えられたので

久しぶりに筆をとることにしました_φ(・_・

 

 

というか体調を崩している間に

めちゃくちゃ時間があったので

なんか色々考えてた、、

 

それで自分の心を整理しようと

別の記事を書いてたのですが、

 

内容が重すぎて

永遠に更新できなさそう、、、、

 

と思って

もう少し軽いやつを書き始めたのが

この記事です(´Д` )

(だがしかし、はたしてこれも軽いのか、、?)

 

この1年間で学んだことを

少しずつ更新してまとめていこうと思います!

 

 

 

 

 

この1年の学び「自分は臆病だ」ということ

この1年間で本当に色んなことがあって、

多くのことを学んだんだけど、

 

その中で痛感したのは

「自分は

今まで自分が思っている以上に

臆病である」

ということだった。

 

今の会社で

人がまだ全然いなかった時、

あらゆる仕事を

任せてもらったのだが、

そのどれもが

私にとって初めての経験だった。

 

ひと昔前の自分は、

「起業したい!!!」

とかほざいてたので、

新しいことに挑戦するのが

自分は好きだと思っていた。

 

あと

「社会に出て活躍してリーダーになりたい!」

とか思ってたので、

マネジメントとか超興味持ってた。

だから大学でも、

大学院でも、

経営学科に進んだ。

 

 

でも会社が少しずつ大きくなるにつれて、

プレイヤーとして

ただ自分のパフォーマンスを

最大化することを考えるんじゃなくて、

全体最適を考える

マネジメントが必要になってくる。

 

すると

マジで「自分は経営学科でした」と言うのが

恥ずかしくなっていった、、

 

実践したこともないのに

理論だけ学んでもマジで意味ない

 

ということを、

(世の真理かもしれないけど)

痛感したのである。

 

現に私はあらゆることが

全然上手くできなかった、、

 

 

もちろん

 

「初めてやったことだから

最初は誰しも上手くいかないでしょう。

経験を積むうちに

だんだんとできるようになっていくものだよ」

 

という意見があると思う。

 

ただ、自分としては

そんなことは

百どころか百億ぐらい承知だった

 

落ち込む私を

励ましてくれるあらゆる人の

その意見を聞きながら、

違和感を感じ始めた。

 

そうして

 

「いや、問題はそこじゃないんだよな、、」

 

と自分の課題に気づき始めた。

 

 

 

それは

 

「自分が臆病である」

 

ということだ。

 

「失敗するのを恐れる」

 

と言いかえてもいいし、

 

「責任を伴う新しい挑戦を楽しめない」

 

という表現でもいい。

 

 

それまで私は、

自分は新しいことに喜びをもって

どんどん取り組めるような人間だと思っていた。

 

この塩尻市に飛び込んだ記事とか公開した時も、

みんなから「行動力あるね!」言われたし、

自分でも「よく行ったな〜〜〜〜!」と思った。

 

ただ、この「行動」は

本当の意味で「挑戦」とは

言わなかったと思う。

 

学生時代にやることなんて、

責任もないし

(失敗しても「学生がやったことだから」という大義名分がある)

行動の結果も予見可能なことがほとんどだ。

 

ただ、社会では

自分がやったことが

その後どうなるかわからないという、

「結果が未知」のことが多い。

 

すると私は

「上手くいかなかったら

どうしよう」

と過剰に考えてしまったのだ!!!

 

正直、自分でも

こんな大げさに考えなくても

いいことだって分かっている、、

 

仕事を任せてくれた上司も

 

「もし失敗しても責任は全部僕がとるから

何も気にしなくていいよ!!

もし上手くいったらいったで

全部あなたの成果になるよ」

 

と言ってくれた。

(いま思い返してもサイコーのボスである、、)

 

自分でも

 

「わたしよ!!!

何をそんなに怖がってるんだ、、!?

 

なんでもっと

『やったー!これを機にあれもこれも試してみよう』

『やったことないことがどんどんできて楽しい!』

と思えないんだろう、、?

 

というかそういう

新しい経験がしたくて、

自分を成長させたくて、

ここで働いてるんじゃないのか、、!?」

 

と何度も言い聞かせた。

 

でも

「怖い」

という感情が

なかなか消えなかった。

 

なぜ!?!?!? 

 

そういう日々だったので

「この感情は多分

超深いところにルーツがあるわ、、」

と思ってどこからどうしてそうなったのか

自分なりに考えてみた。

 

 

「臆病」の原体験

1. RPGゲームでレベル超上げてからラスボス倒す

私って昔っから、

RPGゲームで

レベルを最強、

装備もMAXにして、

アイテム死ぬほど買ってから

ラスボスに挑戦するような

やつだったんですよね〜〜〜〜〜

 

小学生の時

友達の家で一緒にドラクエやってて、

 

「え!?!?そのレベルと装備で

ラスボス行くの!?!?」

 

と友達のプレイ画面を見て

びっくりした記憶がある、、笑

 

 

マリオとかやってても、

ラスボスがいる部屋まで到達し、

 

はりつけにされて

「私のことはいいから逃げて、マリオーー!!泣」

と叫ぶピーチ姫を前にして、

 

私は

 

「やっとセーブポイント

来たぁ〜!!♡」

 

と嬉々としてセーブし、

姫をスルーして最初の街に戻った。

 

そしてラスボスの城を登る過程で得たコインを

全て武器とアイテムに交換し、

また新たにレベルアップした。

 

ここまでして

ラスボスを数撃で倒せるようにしてから

ピーチ姫に

「おまたせ〜!♡」

と告げるような奴だったのだ、、笑

 

もちろんポケモンでも

「めのまえがまっくらになった!」

ことは1度もない。

 

ある意味

「負けず嫌い」

といってもいいかもしれないが、

 

それよりは

「石橋を最強に補強してから叩いて渡る」

という方が近い気がする。

 

ゲームの世界でも

失敗を極端に避けるような性格なので、

いわんや現実世界をや、である。

 

 

2. 皆がドン引きするところまで勉強する

勉強も、ゲームの世界でいう

レベルや経験値のように

「自分の到達度を数値化され」

 

勝利した先にアイテムや世界平和を得るように

「競争の結果何かを得る」

 

という点では同じだと思う。

 

テストの点、偏差値、校内順位などなど、、

高めた数値を使って

偏差値の高い大学への入学許可、

奨学金などを獲得していくわけであって、

RPGと似たようなものである。

 

 

私は東大に入るくらいなので

これらの「数値」は良かったわけだが、

人生で1度も「天才」と言われたことはない。

 

なぜならみんな、

私の勉強するところを見て

ドン引きしていたからである。

 

国語は、

文章中にあるテストに出そうな単語・慣用句を

全て自分でテストを作成して暗記し、

 

社会は、

教科書の端にある備考欄(※図参照)

まで全部暗記した。

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出典:https://www.art-kobo.co.jp/art-kobo/product/dtp/001_gendaisyakai.html

 

 

この用意周到さは

受験でも如何なく発揮された。

 

 

センター試験が間近に迫った冬。

 

私は

「自分がわからない選択肢/問題がある」

というのが、

いくら他の問題で正解しても

自分の心を乱す

と考えた。

 

センター試験はマークミスが起こりうるので、

特に平常心・自信が必要だと感じたのである。

 

そこで私が取った施策は

「人が『そこまでやる!?』

と思うところまでやる」

ということだった。

 

例として、

世界史のマイナーな単元

音楽史がある。

 

古典派・ロマン派が何世紀とか、

有名な音楽家の作品はどれか、

とかいうやつである。

 

正直、

センター世界史で

音楽史は出題されることもレアだし

出ても点数配分はとても低い。

 

だけど私は直前期の模試で

音楽史が出た時に

全然答えられず、

「これは精神衛生上よくない」

と判断してまさかの

直前期に音楽史に時間を割いた。

 

 

クラシックが好きな母に

「この音楽家

この曲が入ってるCDをちょうだい!

勉強中に聞いて覚えるから!!!」

とリストを渡したのである、、

 

これに母は

 

「このリスト作るなんて

センター試験直前にやること、、?

東大はセンターの配点も低いし(※)

音楽史なんか全然出ないだろうし、、

もっと二次試験とか、

得点配分の高い単元に

時間と記憶を割いた方がいいのでは、、?」

 

※東大の配点はセンター2割・二次8割。

また900点を110点に圧縮するので

たとえセンターで50点差があっても6点くらいの差になる

 

とドン引きしながらも

 

せっかくリストを作った私に

CDを買ってくれた、、笑

 

そして私は世紀・派ごとに

プレイリストを作成し、

勉強のBGMとして流しながら、

 

「これはメンデルスゾーン

真夏の夜の夢で19世紀ロマン派、、」

 

と楽曲クイズをしていた、、

 

今思い返しても変態だ、、

 ※受験生のみんな!直前期に真似しちゃダメだよ!!

 

 

こうして

無駄とも思えることにまで

時間を割いて、

自信を買っていたのである。

 

そのおかげで(?)

当日は「私よりも勉強したやつはいない」

と謎の自信に溢れ、

その時のセンター世界史は100点、

総合点も9割を超えた。 

 

この結果があって、

私はより

「石橋を叩きまくって渡ることは正しい」

と思うようになっていったのである、、

 

 

 

「臆病」がもたらす弊害

 

この「臆病さ」

(慎重さともいう)

はおそらく、

テストとかゲームの中では

有利に働くことが多かったと思う。

 

でも現実社会では

そうはいかない。

 

多くの課題は

対策が難しいし、

 

体験Aで積んだ経験値が

体験Bに生きるとは全く限らない。

 

私は今までレベルをあげまくって

「絶対大丈夫」ってなってからし

勝負してこなかったせいで、

 

事前準備が

あまりできない状況のなか

実戦に放り込まれる

 

という経験に

全然慣れていないと感じた、、

 

レベル上げしないまま

ラスボスに挑んで、

その戦いで経験値上げる

みたいなもんじゃん、、

 

だから新しいことを任せられても、

 

ワクワクよりは

何が起こるのかわからなくて怖いし、

焦ってしまって、

上手くいかないと余計落ち込む

 

のかな〜〜〜〜と思う。

社会って難しい〜〜〜〜〜〜

_(:3 」∠ )_ 

 

 

これからもレベル上げし続けるしかない

ここまで読んでくださった方ありがとう!

 

ただしこの課題について

私は何の解決策も見出していない←

 

この臆病さから脱せる日はくるのだろうか、、

_(:3 」∠ )_ 

 

私も新しいことに

ワクワクして

楽しんで挑戦する心を

得たいよ、、

 

でも現実社会の問題に対して

そうなるには、

 

事前準備はできる限りするとしても、

 

予測できなかった問題に対して

課題を分析し、

試行錯誤し次々に方法を変えながら、

差分を検証して自分で結果を評価する力

必要なんだろうな〜〜〜〜

 

と思っています。

そうして現状を少しずつ良いものに変えていくと。

 

それは実戦でやってくなかで

レベルアップして、

できていくようになるしか

ないんだろうな〜〜〜〜

_(:3 」∠ )_ 

道のりが遠い、、、

 

 

 

 

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止まるんじゃねえぞ…

 

 

自分が「臆病を克服した」と

思えるようになったら、

この記事の最後の章を編集しようと思う、、

その日がくるのを乞うご期待( ̄- ̄)ゞ

 

 

それではまた!!!!!!!!